”憧れて弁甲船”・・・・・・②
"俺は この島ば 出るぞ”!
養父は 私が中学の3年に上がる4月初旬に他界した。
赤銅色に輝き。鍛え上げた
漁師の腕は筋肉質の固まりに見えた。
私はそれを見るたびに その気質を感じるたびに
こんな激しい 漁師に成りたいとおもった。
子供ながらに いじめに合いながら 弱々しく 人と人の間をくぐり抜け
ながら生きる要領を覚えている 自分に。いきる激しさを
目の前にみせる 養父は 憧れでもあり 十年間の仕事の無理を押し付けた。
「働かざる者 食うべからず」と 子供に実践させ
殴られながらの恨みの相手でもあった。私は 何度か死にたいと思った。
預け育てられる ハンデーは 日増に生きるための 手段に変転して行く。
その次は 恨みの相手を殺したいと思った。
自然に 死ぬ怖さより 生きる怖さに脅えていた。
悲しいことに やがてわ 怖さ 恨みさえ 変転できる必要に攻められた
自分と言う子供の 器用さに 泣いた。悲しかった。責めるところがなかった。
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